豫山会の歴史

豫山会は、明治以来100年以上の栄光の歴史を持っています。

1 石鐵会
明治45年4月 愛媛県軍人会創設
 明治44年ころ、在京愛媛県出身の先輩方が、後輩たる将校生徒(陸軍士官学校生徒)が何の設備もなく全く放置されていることを憂慮され、
兵頭雅誉少将(後に中将)、尾崎正満中佐(後に少将)及び白石通則少佐(後に中将)等が発起人となり、在京の県出身将校に檄を飛ばして
広く勧誘した。

 その後、明治45年4月に、幹事会を開いて規約を定め、「愛媛県軍人会」を創設した。

大正元年8月 県集会所を設置
 市ヶ谷八幡下「桔梗屋」を愛媛県集会所とする。
 その後、11月には、秋山好古及び前述の兵頭将軍その他26名の将校が集まり、次のことを決めた。
   ・ 生徒のため、月1回この集会所において講和を行う。
   ・ 集会所に有益なる雑誌若干を備え付ける
   ・ 本会の趣旨規約を地方在職者、就中佐官以上にまず通知する

大正3年 県集会所を四谷区坂下町16番地の多田慶明氏宅(愛媛県出身の 陸軍軍属)に移す

大正7年 「愛媛県軍人会」を「石鐵会」に改称
 石鉄山:石鎚山のこと
                                                  秋山好古大将
昭和7年10月 2階建て会館新設
 四谷元村町33番地に土地を購入、2階建ての会館を建設
 将校の研究会や集会の開催も自由になり、将校生徒の日曜祭日の休息、状況者の宿泊の便宜などを供与でき、会の活動も活発化

昭和11年12月 「財団法人石鐵会」となる
 12月28日、陸軍大臣(寺内寿一大将)の認可後、昭和12年1月8日、東京府学務部長指定による財団法人となる。

昭和15年7月 現在の渋谷区大山町に移転、新会館建設
 日支事変の拡大による影響で会員及び将校生徒数が増大、13年ころから移転検討が始まる。
 山下汽船社長山下亀三郎氏により、現在の小田急東北沢駅に近い渋谷区大山町145番地42号に400坪弱の宅地の寄贈を受け、旧藩士をはじめ県関係の財界名士からも多額の寄付を受けるとともに、会員たる将校からも応分の醵金(きょきん)を集め、2階建ての新館(床面積約180坪)を建設した。
 

























昭和20年8月 終戦
 終戦後、法人の解散勧告されるものの、速やかに寄付行為(定款にあたる)の変更を行い、愛媛県出身軍人遺族子弟の育英事業を行うとして活動を
継続した。


2 財団法人 
     豫山会
昭和25年2月 財団法人豫山会の設立
 所在地を松山に移し、愛媛県の体育振興を計り、もって新日本建設の一助とすることとし、愛媛県教育委員会から認可された。
 この際、理事及び評議員は民間人となり、理事長には、財界知名で日本商工会議所会頭や通産大臣を務めた参議院議員高橋龍太郎氏が就任した。
 その後、旧軍人の追放解除に伴い、役員に旧軍人が復帰していった。

昭和39年6月 新会館の建設
 豫山会の積極的な運営を図るため、各種案が検討され、結果的には空いている敷地に2階建ての新館を建設することになり、6月に完成した。

昭和42年1月 寄付行為の改正
 この時期をもって、ほぼ現行の活動目的の形となった。

【新寄付行為】

(目 的)
 この法人は、愛媛県関係青少年に対し、社会教育活動の振興を助成し、その援助を行うとともに体育の奨励につとめ、もって心身ともに健全な
青少年の育成に寄与することを目的とする。
(事 業)
 この法人は、前条の目的を達成するため、次の事業を行う。
(1) 青少年の社会的善行の奨励等に関すること。 
(2) 青少年の体育、スポーツの奨励振興に関すること。
(3) 青少年に対する援助に関すること。
(4) その他目的を達成するために必要な事業。

 その後、寄付行為に従い、関東愛媛県人会の行事に合わせて県出身勤労青少年の表彰を行うとともに、「ふるさとの家」と称して、会員、勤労
青少年等のために、一部を使って宿泊施設を提供した。
(いずれも現在は、行っていない)

昭和45年10月 寄付行為の改正
 東京会館住所に、従たる事務所を置くとともに、事業に「この法人の所有に属する会館の維持運営に関すること」を追加
 ただし、従たる事務所は、平成20年に廃止

昭和52年5月 豫山会マンション東北沢の建設
 本館の跡地を含む敷地、約1,000平方メートルに、現在の3階建て賃貸マンション完成。ちなみに家賃は、月7,000円前後であった。

平成20年12月 マンション大規模修繕実施

3 一般財団法人 
     豫山会
平成24年4月1日 公益法人改革に伴い、財団法人豫山会の解散登記を行い、一般財団法人豫山会に移行した。